遙日記
観劇はしたけれど・・・
2022.03.28
宝塚観る。
トップスターを囲む、男役たちは見事な完成度だ。
中堅どころは将来が楽しみで、若手はこれから感が新鮮だ。
かぶりつきの席だと、一人一人の出演者を吟味できて贅沢だ。
そんな折、同席者に、なにやら紙の束を渡す人がいた。
「娘さんが出演していて、出番を書いた紙をもらった」そうだ。
渡した人はその父親だ。
私の同席者は何枚にもわたる出演表を読み解き、知人の娘さんの出番をチェックしなければならなくなった。
目の前でスターさんが歌っても、一番奥の知人の娘を探した。
「あれが、知人の娘さん」と教えられ、私も、スターを見ずに、舞台一番奥の誰かの娘さんに視線がいく。
舞台から見たら、我々はどう見えただろう。
目の前の客が、ずっとうつむいたまま用紙とにらめっこ。
親というのは、それくらいに、見えなくなる。
他人の観劇を台無しにしてでも、「俺の娘を見てくれ」になる。
親という生き物はすごい。
娘以外、なーーーんも見えなくなる。
我々はかぶりつきの席で、一番印象に残ったのは、誰か知らない人の、「出演表」だ。
もし「宝塚、何みたん?」と聞かれたら、「出演表」だ。