遙日記
贅沢な関係性
2025.08.21
長電話はいい。
メールだと小説一本ぶんぐらいの分量の言葉のやり取りできる。
2時間を海外の友達と喋った。
スピードを競うかのようなマシンガントーク。
バカンスで海外に旅行しても、結局は人と喋るのが楽しい。
日本で仕事してると得られない贅沢が、時間、だ。
メールだと用件で済む話が、電話だと多岐に広がる。
会話で大海の航海に出るかのような行為。
それが、長電話だ。
どのルートか、どのスピードか、目的地も、わからないまま。
心の赴くままに喋る。
これが、今の時代、とても贅沢なことだと思う。
メールはいいよ。
相手の時間を極力邪魔せず済む。
電話の暴力性とは、ほしい時に相手の時間を膨大に奪える。
前提に、時間を奪われることを許せる相手であること。
時間の贅沢の前に、関係性の贅沢、が必要だ。
最近は、「今、喋れるで」とメールがくる。
「私の時間、あげる」ということ。
贅沢な行為だ。長電話は・・・。