遙日記
説教されたで
2025.08.08
私は説教されるのが嫌いではない。
経験上、説教されてる中身に共感とか反省とかない。
この人からは、私はこのように見えるんだなぁ、ということ。
その人から見える私の姿が、説教しないではいられないほどダメということ。
でもそれは「俺には君がそう映る」であり、私の姿ではない。
なぜ私がそう発言し、行動するかには、すべてに理由がある。
じゃあなぜ説教する人に反発しないかというと、それが好意だからだ。
好意で人は私に注意してくれる。
説教される内容にはいちいち反論したいところだが、その動機にある私への好意が嬉しい。
説教されるほどに私にはそれが、好意の証明になる。
だから素直に聞ける。
「僕は遙さんのそこがいけないところだと思う」
広い会議室でたまたま二人きりになった。
そしたら説教された。
久しぶりの説教に笑みが隠せなかった。
「私に注意してくれるんだ。ありがとね」と言った。
その日の「サンシャイン」、上機嫌でスタジオに入る。