遙日記
見抜く力
2025.06.06
人の感性というのは計り知れない凄さがある。
本質を見抜く力というか。
私が生まれ育った地域のご婦人の方々とお茶する機会があった。
もうご高齢だ。
4世代くらい繋がる地域縁がある。
「洋子ちゃんキレイになった」「太った」など喧しい。
遠巻きに私の成長を見守ってくれた方々。
私が自分の死に方を自由死とか勝手死と笑うと叱られた。
「洋子ちゃんのお母さんがどれほど大事に育てたかわかってるのか」と。
私のリビングに飾る、母が大事にした壺をそのご婦人に見せた。
すると・・・
「この壺を飾るためにこのサイドボードを買ったのか」
ご婦人が私に聞いた。その通りだった。衝撃だった。
誰ひとり、そう解釈した人はいない。家族も。だが他人のご婦人が見抜いた。
サイドボードに壺を飾ったのじゃない。壺を飾るためにサイドボードを買った。
家族は誰も見抜けないことが、他人が見抜ける。
驚愕と、尊敬と、見透かされている恥ずかしさと、喜び。
そんな一日。